2023年 03月 04日
日本晴れの空

「じゃ、明日、登山口駅で待ってますから。
よろしくおねがいします」
北山はそう言って電話を切った。
食品加工装置の技術者である北山は、
お客さんの葛岡さんと、明日、大東岳登山に行くことになってしまった。
葛岡さんは山菜取りが好きな
気さくで素朴な人だった。
初めは無骨な表情がどうも苦手で、仕事の話し以外はあまり会話ができなかった。
また、いつでも冷静で正確に物事を捉える葛岡さんに対して、
どこか気の抜けた、おっちょこちょいな性格の北山は
一種、近づきがたく、どちらかと言うと苦手なタイプだった。
ある日、図面の最終確認で葛岡さんのところを訪れた。
時間は約束してあったのに、珍しく葛岡さんは不在だった。
いつも、自分より早く約束の場所に来ていて
私を待っていてくれていた。
そんな葛岡さんが今日は来ていない。
「少し遅れるから待っていてほしい」
そう伝言があったと伺ったが、理由は知らされなかった。
20分程待って、葛岡さんが小走りでやってきた。
「いや~、待たせてしまって申し訳ない。
孫がさぁ、俺と一緒に学校に行くってきかなくってさ、参っちゃったよ。」
仕事以外の話しをしたのは、この時が初めてだった。
今年1年生になったばかりのお孫さんが引っ込み思案な性格で、
おじいちゃん子なので時々甘えて、「一緒に学校に行こう」と言ってくるらしかった。
そして、待たせたお詫びにと“アケビの新芽”をどっさり持って来てくれた。
アケビの芽が食べられるとは初耳だったが、
家に帰って教わった通りに湯がいて食べてみると
その食感といいほろ苦さといい、鼻に抜ける山菜の香と言い
それは今までに味わったことがない位、絶品だった。
それからだ。
学生の時分から山登りが好きで、山にばかり登っていた話しを
仕事の合間にするようになった。
葛岡さんもまた、低山が多いようだったが登山好きで
山菜取りも含めて、山好きであることに違いはなかった。
「今度、大東岳の湧き水を汲みに行きませんか?
夏もいいですけど、冬は格別にいいもんです。
僅かにですけどここ、凍らないんですよ、すごいでしょ。
少し、雪道を登りますけど、北山さんの経験からしたら
朝飯前ですよ、あはは…。」
北山はそう誘われたが、即答できなかった。
山に辛い経験があって、それを境に山には立ち入っていなかった。
10年程前に落石事故に合い、九死に一生を得ていた。
無茶なことをしていたのだと思う。
それ以来、自分に自信が持てなくなっていた。
ただ、葛岡さんの慎重さと裏表のない性格が
背中を押しているように思えて、葛岡さんと一緒なら
山に入れるような気持ちにもなれた。
正直、迷いはあったが、断る理由も見つからなかった。
北山は列車に揺られていた。
登山口駅まではあと30分も乗れば到着する。
今でもまだ怖い気がする。
列車の窓の向こうには、雲一つない青空がどこまでも続いていた。
「こんな空に出会えるのは、そう何回もあるわけじゃないよな」
きっとうまくできそうだと、そう思えていた。

